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最期
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orange に、僕を投影した。

当時の僕は20代で、無職で、長髪で、胡散臭くて
芸術家になるのだと嘯いて、そのくせ何もしたくなくて
誰かに評価されたくなくて、カーテンを閉めた部屋にこもって
重ね撮りしたビデオ・テープの映像を眺めながら、誰かを評価していた。

orange と名付けたのは、母の影響だった。

学校を卒業して、同級生が就職して活躍していくのを横目で眺めながら
近所のコンビニでアルバイト求人誌とタバコを買い、放り投げ、一日のノルマを終えた。

まだインターネットが一般的ではなくて、携帯電話もそれほど普及していない。
ポケベルが廃れたあとの、PHSの時代。
ほんの一瞬の時代。

人生初めての挫折感に打ちひしがれた僕は、暗い部屋に閉じこもった。
インターネットもないから、真白なキャンパス・ノートの上に、絵と文字を書き殴った。

僕は届けたかったのだ。
届かなくても、せめて知って欲しかったのだ。
それは所詮、手淫のようなもので、誰も受け取る必要はない。
しかし、僕は届けたかったのだ。

いつも不安だった。

――子供の頃、母といっしょに昼寝をすると
母はいつも大きなオレンジ色のタオルケットをもってきた。

母の横で眠ったふりをして、タオルケットに潜り、目を開ける。
すると窓から射す陽の光で、いつだって僕はオレンジ色に包まれていた。
いつもオレンジ色は、どこか懐かしく、柔らかく、温かく、絶対的な安心の色だった。

やがてインターネットが普及した。
複数の人達と会話をするチャットや、自作のホームページが流行っていた。

それで僕は、僕に名前を付けることになった。
頭の中に浮かんだのは、文字ではなくて、形ではなくて、あの色。
どこか懐かしく、柔らかく、温かく、僕を安心させ、手を引き、何処かへ連れていってくれる色。

orange に、僕を投影した。

当時の僕は20代で、無職で、長髪で、胡散臭くて
芸術家になるのだと嘯いて、そのくせ何もしたくなくて
誰かに評価されたくなくて、カーテンを閉めた部屋にこもって
重ね撮りしたビデオ・テープの映像を眺めながら、誰かを評価していた。

orange と名付けたのは、母の影響だった。

日光を背にして、オレンジのタオルケットを広げて笑っている、母の姿が見える。

思えば、本当にだらしない息子だった。
カーテンを閉めた部屋にこもって、夢ばかり語る息子を、母はどう思っていただろう。
僕の髪が伸びたり、髭が伸びたり、だらしなく太ってきたとき、母はいちいち言葉にした。
しかし僕の人生の選択については、一度たりとも責めたり、叱ったり、貶したことはなかった。

自由だった。
僕にとって絶対的な安心の存在だった。
僕が絵を描き、詩や小説を書くようになったのも、母の影響だろう。
失うことが、本当に怖かった。

先月の下旬に、母が死んだ。

出来事が、突然、来訪し、滞在し、通過し、嘘みたいに。
それで僕は、抜け殻みたいになった抜け殻の外側で、考えている。

葬式の日に、姉に訊いた。

「母さんが最期に食べたモノ、何だった?」

姉は、ほんの数日前の記憶のホコリを手で軽く払うようにして

「オレンジ」

と、言った。
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Comment - 3

しのめん

ふぁぼでもいいねでもないから

忘れられるものじゃないけど
ずっと覚えていてあげることが、子供の役目だと思う
自分の子供が、覚えていてるのが苦痛にならない親になりたいね

2016/05/08(Sun) 02:25

Edit | Reply | 

愛されていたんですね。
大切な人を失うことは言葉で表せないけれど、ゆっくりでしか咀嚼できないと思うから。
また心が動くまで。ゆっくり。

2016/05/08(Sun) 22:39

Edit | Reply | 

michoe

No title

お母さん、素敵な人だったんでしょうね。
orangeさんは、かわいい息子だったんでしょうね。

私は、親に心配もかけただろうけど
親より先に死ぬようなこともなかったし
孫を抱っこさせてあげられたから
良いんだ!と思ってます。

2016/05/09(Mon) 00:32

Edit | Reply | 

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